「リベラル」の悪いところを寄せ集めて煮詰めたような小説――中村文則『R帝国』について

 

中村文則氏の最新作『R帝国』を読みました。前々作『教団X』の余りの惨状ゆえ、それと同路線と思われる今作の出来映えもまあ推して知るべしといったところでしたが、結論から言えばその悲観的予想を更に下回る内容で、ある意味では衝撃的でした。

まずは帯のあらすじを引用しておきます。

 

朝、目が覚めると戦争が始まっていた。近未来、独裁政権下に生きる2組の男女。彼等の運命の先にあるのは、幸福か絶望か。やがて、物語は、世界の「真実」に辿り着く――。

 

  

キスして……くれないか

本書を読んで、私が一番に胸に抱いたのが「読んでるこっちが恥ずかしい」という感情です。とにかく何もかもが陳腐で品がなく、かつて純文学作家として『掏摸』や『土の中の子供』(これらの作品は私も好きです)などを書いていた頃の面影は、もはやどこにも見当たりません。

具体的に言えば「六本足で動く巨大兵器、AIが粗雑なので大きなものから順に狙っていく」とか「特定の人種にだけ毒性を発揮するウイルス」とか、幼稚園児のおままごとのようなSF設定の数々。

加えて文章まで幼稚そのもので、たとえば主人公と親しくなった敵国の女性兵士が死を覚悟する場面は以下のような感じになっています。

 

「……矢崎」アルファの目がうっすら開き、呟くように言う。

「キスして、……くれないか」

「え?」

 アルファが弱々しく笑みを浮かべている。

「私は、ずっと、銃を持って、……暮らしていた。……ヨマ教の、私の宗派は、婚前交渉を、禁止されている。……だから、そういう、経験がない。……幼少の頃の、その片思いだけだ」

矢崎はアルファを抱き起こし、キスをする。一度唇を離した後も、矢崎はもう一度キスをする。矢崎とアルファの目に涙が滲んでいく。

「……これが、恋愛というものか」

アルファが矢崎を見つめて微笑む。

「……いいものだな」

 

とまあこんな気の遠くなるようなチンケなメロドラマをあちこちに配置してくるため、中盤あたりでもう読むのが辛くなってきます。その後も目を疑うような拙劣な文章表現が続き、挙句、政府の黒幕的な存在である人物を「異様にIQが高い」などと書くに至っては失笑を通り越して憤りさえ湧いてきました。だって1600円で売ってるんだぜこの文章。

ちなみに、そのアルファさんの死に様は以下のような代物です。

 

アルファは全身の力を使い、筒状の兵器を型に担ぎ上げる。

足はふらついたが、立てている。炎の最後のようだ、とアルファは思う。複数のR軍機が旋回する。アルファに向かってくる。

やはり無人機。アルファは思う。有人機はひとつもない。アルファは無人機の群れに向かって叫ぶ。

「女一人にみっともないな」兵器を構える。

無人機ばかりだ。臆病者め!」

これが私の最後だ。アルファは思う。個人の力を見るといい。

「おおおおおおおお」

 兵器のフックに腕をかけ、全身の力を込めて引く。衝撃でアルファの身体が後ろに飛ぶ。兵器から出たミサイルは上空に飛び、さらに五つに分裂しR軍機に向かう。

 

おおおおおおおお。

 

  移民GO

 この小説はディストピア小説、風刺小説でもあるわけで、現代日本社会を皮肉ったらしい記述が頻出します。それはそれで良いのですが、どうもこの小説の場合、その「風刺」自体、相当に公平性を欠くと言うか、中村氏の偏見によるとしか思えないものが散見されます。

特にソーシャルゲーム。私はあまり熱心なプレイヤーではないのですが、いくら何でも冒頭の死刑囚の徹頭徹尾紋切り型の描写とか、どうなんでしょう。極めて不快でもう引用したくもありません。「ソーシャルゲーム相手なら適当に描いても構わないだろう」という中村氏の態度が本当に気に食わない。

 

まあ個人的な不快感を置いておくとしても「これはマジで問題だろう」と思うような箇所も少なくありません。

 

そういえば、ママ友達が言っていた『移民GO』というゲームがあるらしい。

なぜか登録移民の住所がいくつかの役所から流出し――役所は会見を開き頭を下げ謝罪した――その住所が地図上に表示され、プレイヤーが実世界で、実際に移民を見つけにいくのだ。流出したデータを元に誰かが作成し、ネット上にフリーソフトとしてアップされた。

移民の住む場所でボタンをタップすると、その実際の移民の姿をアニメ化した画像を「手に入れる」ことができる。その移民を「敵/的」として射撃ゲームができるのだ。つまり、プレイヤー達は射撃ゲームの的を手に入れに、実在する移民の住む場所に向かっていく。ゲームには普通敵が用意されているが、そのゲームではプレイヤーが敵を手に入れていく。

 

中村氏がどういうつもりでこんな記述を行なったのか私の知るところではありませんが、こんなのは「風刺」としても最低だと思いますし、任天堂や某ゲームのファンは作者や出版社に抗議の電話の一本でも入れていいんじゃないかと思います。……まあもっとも、仮に抗議されたところで中村氏は「物言えぬ社会」などと称する文章をリテラあたりに寄稿して被害者面をするのが目に見えていますが。

極めつけはこれです。

 

まず文化全体のレベルを、一見わからないように少しずつ下げていくこと。くだらない者に人々が熱狂するくらい、文化的教養を下げていくこと。本来学歴と教養は関係ないが、例え高学歴な人間であったとしても、教養という言葉に虫唾が走るようにすること。

 

よく恥ずかしげもなく書けたもんだなと思います。適菜収かよ。

勿論他にも許しがたい記述は山のようにあります(アニメを揶揄したようなものもありますが、これにしても最早不快すぎて引用することすら苦痛です)が、まあこのように、この小説のテクスト自体が偏見や陰謀論的な思い込みに支配されてしまっているために、後述するように「多様性」というテーマの説得力も致命的に損ねてしまっているように思います。 

 

「多様性」は何処へ

本作で非常に印象的に使われる言葉が「多様性」です。ご丁寧に冒頭14ページから太字で強調されています。

 

画面にそのメッセージが表示される。無機質な、アルファベットと数字の連続。意味がわからない。

《でもこれ別プログラムで再生すると、こんな言葉に》

 

多様性。

 

微かに胸が騒いだ。何だろうこれは? 送ってきた不明の相手は、誰かのHPだろうか。矢崎とネット上で繋がる‘‘フレンズ’’達にも、実は誰かのHPが紛れてる(原文ママ)ことがある。ネット上でやり取りしているだけの相手が、実際は人か人工知能かわからない。

奇妙だった。セキュリティをかいくぐる行為は普通できない。こんなものを送りつける話も聞いたことがない。

 

 

終盤では、鈴木タミラという革命家的な人物の著作が引用されます。もちろん小説内では英雄的に描かれるのですが、もうイデオロギーの問題以前に単純に頭が悪そうとしか言いようのない辻褄の合わない説教*1が延々続き、残念ながらどう考えても高い知性を有する人には見えません。そんな彼女が最後に残したのがこの文章。

 

私達が世界の暴力と圧政を内側から崩壊させる。だから未来の人間達よ、あなた達は自由の空気を吸い、多種多様な喜びの息を吐け。

 

ここだけ抜き出すとまあ格好良いんですが……。

とまあ、この小説のテーマは兎にも角にも「多様性」なのですが、不思議なことにこの小説には「多様な人間像」は全く出てきません。主要な人物はアルファさんを除いてみんなR帝国人、ヘテロセクシュアル。この小説がマジョリティの視点から出ていくことはほぼないわけです。まあ、その例外アルファさんの苛酷な来歴も、結局は前述したとおりのくだらないラブロマンスに回収されてしまうわけですから、もはや嘆息するしかありません。

加えて、中村氏はこの小説内で様々な人々に対して「筆誅」を加えています――ソーシャルゲームプレイヤーは人非人、ネットユーザーは愚民、アニメ好きも馬鹿、右派は冷酷、云々。彼の提示する「多様性を大事にする世界」にはリベラル知識人(勿論皮肉で言っています)以外の人間は誰一人存在しなさそうです。もっと言わせてもらえば「強い国家」に自己の存在の基盤を求める人々を嘲笑するわりには、その中村氏自身が「リベラル」とか「国家との対決」とかいった物語と完璧に自己同一化してしまっているような印象さえ受けます。 

 

 まとめ

 「文章を読む」ということにこれほどの不快さを伴ったのは百田尚樹の『カエルの楽園』以来でした。こんなものを書いておいて、なぜあれほど他者に対して傲慢不遜な態度を取れるのか全く理解に苦しむところですが、まあ「リベラル」のお友達同士でキャッキャやってて楽しそうだし、もうそれで良いんじゃないですか。まあ、 私はそういう明らかに質の低いものを「仲間が書いた」ということを理由に持て囃す心底気味の悪いカルト共同体には加わりたくないので、家に帰って彼等が馬鹿にしまくっている美少女アニメソーシャルゲームでも楽しみます。

最後に、私がこの小説の中で唯一同意できる一文があったので引用しておきます。

 

私達は相容れない。永遠に。

 

 

 

 

 引用箇所は全て中村文則『R帝国』(中央公論新社・2017年8月初版)より

R帝国

R帝国

 

 

 

*1:詳述しませんが、この説教は一見良いことを言っているように見えて、実のところは強者や既得権益層の傲慢さに溢れた欺瞞そのものです。構造的な貧困の問題を扱っていたはずが、いつのまにか非常に矮小化された「善意」の問題へとすり替えられ、弱者は強者の「善意」に縋って生きていればいいんじゃないのというような結論へと至ります。